好き勝手生きることにした30代のきろく

思ったことをひたすら書く記録用ブログ

「続かない」について考えてみた

世の中には、「続ければ成功する」「続ければ稼げる」「続ければ才能が開花する」ことにあふれている。

人間は「続ける」ことがとても難しい。

 

継続すればいいだけの話よ

やりたいと思う人が1万人いた場合、実際にやってみる人は1%の100人だけ。
そこからさらに継続できる人は、さらに1%の1人だけと言われている。

 

習慣については科学的に説明されてきていて、どうすれば習慣化できるかはみんな知っていることだと思う。

なのに、途中で挫折する人が後を絶たない。

 

最初のハードルをめっちゃ下げる、やり始める工数を極限まで減らす、やること自体を楽しむ、ご褒美を用意する、0-100ではなく中間でもよしとする、これを28日間続ける。

 

やればええやん、なんでできないの?

 

やり方もわかってんのに、続ければいいだけなのになんでできない?

と考えてみたのですが、私なりの答えとしては

今のやり方に自信が持てない

ことが続かない大きな要因なのでは?と考えました。

 

「この筋トレを続ければ絶対痩せるよ!」という、自信というか信頼という感情が生まれれば、継続はたやすい。

でも、「このやり方で合ってるのかな?」とか「こんなことしても無駄なんじゃないか」と考えた途端、続かなくなってしまう。

少しでも疑ったり、信用できなくなってしまうとできないんです。

 

最初は疑ってなくても、何日か続けて効果が目に見えないと「これ効果あるん?」と考えてしまい、やらなくなってしまう。

信じ続けることがいかに大変かを思い知らされます。

 

このブログも、毎日更新するんだ!続けるんだ!と息巻いてました。

ブログのような情報発信は、続けていくことで見てくれる人も増えて、発信力も増えていくから続けるのが正解。

っていうのは頭ではわかってるんです。わかってるんですが、

こんなこと発信してて、本当に意味あるんかな」と思ってしまったとたん、更新するタイピングの手がピタッと止まってしまうんです。

 

現に今も少し疑っています。

面白いことは書けないし、役に立つことも書けないし、そんなに多くの人は見ていない。

「続けたら多くの人に見てもらえる」のではなく、

「才能のある人が続けたら多くの人に見てもらえる」という、至極当たり前なことだったんじゃないかな?

今とても無駄なことをしているんじゃないかという恐怖が、文章を書く手を止めてしまう。

 

人間、時間を無駄にしているという感覚ほど怖いものはないです。

 

どうすれば信じ続けられるか?

と考えてみたのですが、そもそも信じ続けることは不可能かもしれない。

 

継続して成功した人は、たぶん信じ続けたのではなく、「成功するかしないか」はまったく考えてなかったんじゃないかなと思う。

 

ただ、楽しくて続けていただけなのではないかと。

 

エジソンとか、ゴッホとか、イチローとか。

もちろん強い執念があったのだと思いますが、それ以前にきっと楽しかったんじゃないかな。

だから、人から評価されていない時期も続けてこられた。

エジソンは、失敗続きでもあきらめず挑戦し続け、電気を発明した。

ゴッホは、絵が売れなくても毎日絵を描いていたそう。

イチローは、毎日ルーティンをストイックに実行して成功した。

 

情報発信は楽しいか。

と問われると難しい。

自分の思っていることがネット上にフワフワ存在して、誰かの辛いときの支えに少しでもなる文章・情報であれば、これ以上嬉しいことはないと思う。

じゃあ助けにならなければ楽しくないのかと言われると、そんなことはなく。

こうやって、自分のぐっちゃぐちゃな気持ちを、目に見える形にアウトプットすることで頭の中が整理出来て、自分のことが好きになる。

そういう過程があるから、今までコツコツと書き続けられたのかもしれない。

 

「誰かのために」書くなんて、まだ早いのかもしれない。

今は「自分のため」に書くことができれば十分かもな。

もし書くのが辛くなったらやめればいい、くらいの意気込みの方が私にはあってるのかも。

 

徒然とすみません。

この文章も、誰かに読んでもらうためというよりは、自分の思い・考え・思考を世に出すことで自分のことを認めてあげられる工程の一つ。

この工程がとても大事なんだ。

ぐっちゃぐちゃな文章ですが、それも今の私。

 

大丈夫、自信をもって書き続けましょう。