世の中には、「続ければ成功する」「続ければ稼げる」「続ければ才能が開花する」ことにあふれている。
人間は「続ける」ことがとても難しい。
継続すればいいだけの話よ
やりたいと思う人が1万人いた場合、実際にやってみる人は1%の100人だけ。
そこからさらに継続できる人は、さらに1%の1人だけと言われている。
習慣については科学的に説明されてきていて、どうすれば習慣化できるかはみんな知っていることだと思う。
なのに、途中で挫折する人が後を絶たない。
最初のハードルをめっちゃ下げる、やり始める工数を極限まで減らす、やること自体を楽しむ、ご褒美を用意する、0-100ではなく中間でもよしとする、これを28日間続ける。
やればええやん、なんでできないの?
やり方もわかってんのに、続ければいいだけなのになんでできない?
と考えてみたのですが、私なりの答えとしては
今のやり方に自信が持てない
ことが続かない大きな要因なのでは?と考えました。
「この筋トレを続ければ絶対痩せるよ!」という、自信というか信頼という感情が生まれれば、継続はたやすい。
でも、「このやり方で合ってるのかな?」とか「こんなことしても無駄なんじゃないか」と考えた途端、続かなくなってしまう。
少しでも疑ったり、信用できなくなってしまうとできないんです。
最初は疑ってなくても、何日か続けて効果が目に見えないと「これ効果あるん?」と考えてしまい、やらなくなってしまう。
信じ続けることがいかに大変かを思い知らされます。
このブログも、毎日更新するんだ!続けるんだ!と息巻いてました。
ブログのような情報発信は、続けていくことで見てくれる人も増えて、発信力も増えていくから続けるのが正解。
っていうのは頭ではわかってるんです。わかってるんですが、
「こんなこと発信してて、本当に意味あるんかな」と思ってしまったとたん、更新するタイピングの手がピタッと止まってしまうんです。
現に今も少し疑っています。
面白いことは書けないし、役に立つことも書けないし、そんなに多くの人は見ていない。
「続けたら多くの人に見てもらえる」のではなく、
「才能のある人が続けたら多くの人に見てもらえる」という、至極当たり前なことだったんじゃないかな?
今とても無駄なことをしているんじゃないかという恐怖が、文章を書く手を止めてしまう。
人間、時間を無駄にしているという感覚ほど怖いものはないです。
どうすれば信じ続けられるか?
と考えてみたのですが、そもそも信じ続けることは不可能かもしれない。
継続して成功した人は、たぶん信じ続けたのではなく、「成功するかしないか」はまったく考えてなかったんじゃないかなと思う。
ただ、楽しくて続けていただけなのではないかと。
もちろん強い執念があったのだと思いますが、それ以前にきっと楽しかったんじゃないかな。
だから、人から評価されていない時期も続けてこられた。
エジソンは、失敗続きでもあきらめず挑戦し続け、電気を発明した。
ゴッホは、絵が売れなくても毎日絵を描いていたそう。
イチローは、毎日ルーティンをストイックに実行して成功した。
情報発信は楽しいか。
と問われると難しい。
自分の思っていることがネット上にフワフワ存在して、誰かの辛いときの支えに少しでもなる文章・情報であれば、これ以上嬉しいことはないと思う。
じゃあ助けにならなければ楽しくないのかと言われると、そんなことはなく。
こうやって、自分のぐっちゃぐちゃな気持ちを、目に見える形にアウトプットすることで頭の中が整理出来て、自分のことが好きになる。
そういう過程があるから、今までコツコツと書き続けられたのかもしれない。
「誰かのために」書くなんて、まだ早いのかもしれない。
今は「自分のため」に書くことができれば十分かもな。
もし書くのが辛くなったらやめればいい、くらいの意気込みの方が私にはあってるのかも。
徒然とすみません。
この文章も、誰かに読んでもらうためというよりは、自分の思い・考え・思考を世に出すことで自分のことを認めてあげられる工程の一つ。
この工程がとても大事なんだ。
ぐっちゃぐちゃな文章ですが、それも今の私。
大丈夫、自信をもって書き続けましょう。