好き勝手生きることにした30代のきろく

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「ガチャ」という表現について

先日、親ガチャの話をしたら「そういえば『ガチャ』って言葉は最近よく聞くなあ」と思い。

▼親ガチャの記事はこちら

yano-uts.hatenablog.com

 

▼この記事の目次▼

 

「ガチャ」ってなんだ

  • 「ガチャ」とは、カプセルトイと呼ばれる抽選式(ランダム式)のおもちゃの購入方法の呼び方です。また、カプセルトイと同じように、排出されるものがランダムで選ばれるソーシャルゲームアイテム課金方法の通称のことも指します。
  • カプセルトイは「ガチャガチャ」「ガチャポン」などとも呼ばれます。
  • 「ガチャ」は、インターネット上で生まれた俗語(スラング)で、厳密な定義はありません。一般的には、子どもが親を選べない状況をスマホゲームのガチャになぞらえた言葉で「良い親の元に生まれることができたかどうか」といった意味で使われます。

すっごく簡単に言うと、運で決まってしまう、自分ではどうすることもできないもののことをさしますかね。

よく聞くワードは以下でしょうか。

  • 親ガチャ
  • 上司ガチャ
  • 部署ガチャ
  • 隣人ガチャ

ガチャがゲシュタルト崩壊してきました。

 

私はポジティブに「ガチャ」をとらえる

個人的には「ガチャ」という言葉が広まってよかったのではと思う一人です。

つまりポジティブに捉えています。

なぜかというと
自分ではコントロールできないことに思い悩んで自分を責めることがなくなる言葉
だと思うからです。

会社でメンタルダウンしてしまうような真面目な人って、例え上司がクソみたいなパワハラ野郎でも、

「上司が私にこんな強く当たるのは、仕事ができない自分のせいだ」

と、自分に矛先が行ってしまうことが多い気がするんです。

アドラー心理学でいう「課題の分離」ができていない状態になってしまっている感じです。

それが、「ガチャ」という言葉を使うことで、自分のせいではなくこれは単純に運が悪かったんだ!と思って前に進めたら、とても良いことだと思います。

まあ、自分の欠点ややる気のなさを認めずに「ガチャ外れたわw」と言って正当化する人もいますけどね。そういう人は、例え上司が変わったとしてもガチャが外れ続けるのではないかと思います。

 

一方で批判的な声もある

Google検索すると「ガチャ 言葉 嫌い」という検索候補が出ます。

「親ガチャ」を例にして考えてみますね。

「親ガチャ」という言葉が嫌われる理由は、自己責任の無い考え方だから、親に対して危害を加える可能性があるから、などが挙げられます。
また、この言葉が若者の間で流行する背景には、自分の「人生のうまくいかなさ」を親のせいにし、努力しようとしない若者の無気力化があるという解釈もあります。

色々なサイト・ブログを見てみると、主に

  • 育ててくれた親に失礼、感謝がない
  • うまくいかないことを全部親のせいにしようとしている
  • なんとなく不快(チャラい?)

あたりの意見が多かったです。

気づいたのは、こういった嫌悪感を抱いている人は総じて幸せな家庭だったということですね。

お金持ちで裕福かどうかではなく、親に愛情をもって育てられていた人が、こういった言葉に不快感を持つのかな?と思いました。

 

批判を踏まえて私が思うこと

上記のような幸せな家庭で育たれた人は、「親ガチャ当たった!」って喜べばいいんだと思います。よかったですね。

そのような家庭で育てられなかった人は、「親ガチャ外れたな」と考えて、責める先を自分にしないでほしいです。

「子供が親を選んでいる」なんて言われたりもしますが、そんなことないです。これは本当に運で、あなたは何も悪くない。

親から愛情をもらえなかった人が前を向くには、「これは運が悪かったせいだ」と思うしかないんです。

 

少なくとも「親ガチャという言葉が嫌い」な、幸せな両親のもとで育った人が、
「親ガチャに外れた」と思うことで前を向こうとする人に対して、
「親に失礼だろ!親のせいにするな!」
という言葉を浴びせることだけは、本当にやめてほしい。

 

熱くなってしまいましたが、心の中で思っていたことを書けてすっきりしました!

 

賛否あるテーマかなと思いましたが、みなさんどうでしょう。