確実に私の精神・性格をゆがませた経験として、
人間関係のいざこざ があります。
回りくどい書き方をしていますが、要するにいじめです。
「いじめ」とハッキリ書くとドキドキするぐらい、トラウマ的経験です。
なんてことない、よくある、急に友達から無視されるという内容ですが、当時は本当につらく、地獄のような時間でした。
この時、一番怖かったのが「親バレ」だったので、家ではいつも通りの自分を演じ、学校にも休まず登校しました。(今考えるとすげー)
▼親バレが怖かった理由はこちら
不思議なことに、ある日急に、何事もなかったかのように友達が急に話しかけてきて、その地獄の時間は終わりました。
今思えば、「なに急に仲良くしてくんねん」とイラっとしますが、当時は友達と普段通りに話せたことが嬉しすぎて、無条件で相手を許してしまいました。
一番厄介なのが、なんで無視され始めたのか、原因がいまだにわからないんです。
今更いじめた側に確認を取ることもできないし、仮に勇気を振り絞って聞いたとしても絶対にいじめたことを忘れてると思います。
(悔しいけどそんなもんです。そいつ今頃パフェ食ってるよ現象です)
理由なく無視されたのかもしれませんが、
もしかしたら、私の無意識な行動で誰かを傷つけたのかもしれない
という可能性がぬぐえず、自分の存在がとても怖くなりました。
しかも、相手は違いますが、また同じようなことがあったんです。
(ちなみに、毎回同じように急に始まり急に終わる)
もうこれって、私が原因としか考えられませんよね?
もし、いじめられた原因がはっきりしていれば、こんないい大人になってまで苦しむことはなかったかもしれない。原因となっている自分の性格を直して前を向けたかもしれない。
でも、まじでわからない。私なにしちゃったんだろう?
もしかして、いじめられた原因に気づけないくらい、私は性格が腐ってるのかな?気づけないということ自体が、私の性格の悪さを物語ってるのかな?
そう思うと、自分のことが大嫌いになりました。
その思いのせいで10-20代は、周りの目を気にする、相手の感情に敏感、一人になるのが怖い、嫌われるのを極端に嫌うという性格になってしまいました。
「私はクソだから、また無視されるかも」というビクビクした気持ちのまま友達と遊んだりしていました。
この性格もあり、プライベートより仕事を優先するようになり、仕事で他人から評価されたいとブラックに働くようになり、メンタルを崩しました。
▼詳しくはこちらで書いています
このいじめは、私の人生にとてつもない悪い影響を与えました。
いじめてきた相手をシンプルに憎むことができれば少しは楽だったのかもしれませんが、実は私がすごく嫌なことを相手にしていたかもしれない、だからいじめられたのかもしれない、と思うと、憎む相手が自然と自分になっていました。
私は約20年ほど、自分のことが世界で一番大嫌いでした。
過去のトラウマを書きましたが、今は立ち直って自分のこと大好きです。
当時のことは、やっぱりいまだにいじめられた原因はわかりませんし、独りぼっちになりそうな雰囲気になると動悸がします。いまだに他人の感情にも敏感です。
今でも、当時を思い返すと吐きそうです。
でも、過去にとらわれ過ぎて未来が壊れていく方が怖いと思い、変えられない過去をいつまでも引きずるのは止めよう、と考えることができるようになりました。
もしかしたら、やっぱり私の性格はいじめられるくらいクソなのかもしれないですが、まあそれでもいいじゃん、と開き直れたというか。
「鋼の自己肯定感」を読んでから、さらにその気持ちは確実なものになった気がします。この本を読んで本当に良かったと思います
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もしかしたら、小さい頃のいじめ体験によって大人になっても苦しんでいる人いるのかなあと思い、書くのはつらかったですが書かせていただきました。
似たような経験されている人が少しでも楽になりますように。