好き勝手生きることにした30代のきろく

思ったことをひたすら書く記録用ブログ

何を好き勝手するのか2024

このブログのタイトルの通り、30代の今、好き勝手生きようとしているんだけど、

大きくは二つ。

 

会社勤めを辞める

田舎に移住する

 

これです。

 

会社勤めを辞める

以前書いた、「人生の時間が足んねえよ」ってところに繋がっています。

yano-uts.hatenablog.com

 

ずっと、社会人って会社に属することだと思ってたんです。

大手企業に勤めて高い給料をもらうことが成功だと思ってたんです。

でも違うなと。

成功の定義って人それぞれなんだから、自分が思う成功ってなんだ?と思ったときに、

文句を言いながら、「行きたくねー」とか言いながら会社に勤めている姿は、控えめに言っても全然成功ではないなと。

 

高い給与が欲しいのも、特に使い道とか思い浮かばん。

強いて言えば老後の蓄えなんだけど、それ蓄えてる人生楽しい?

どちらかといえば、周りからすごいと思われたいから肩書・高収入が欲しいだけだったのかも。

 

だから私は会社員を辞めます。

 

田舎に移住する

東京近辺にずっと住んで、もう10年以上経ちました。

東京が好きだからずっと住んでいるのではなく、東京の会社にいるからずっと住んでいる。

東京好きかと言われると、正直嫌いだ。

人は多いし、変な人も多いし、電車は激込みだし、家賃たけーし。

便利ではあるが、圧倒的に心の余裕が足りない。

ずっと住む場所ではないなーと漠然と考えていました。

 

会社勤めを辞めれば、もはや東京にいる理由は無くなるのだ。

じゃあ、自然がいっぱいな田舎に住みたい!!

 

田舎に移住して失敗した人の話もよく聞きます。

田舎に幻想を抱くな!という問題提起する人もいるし。

むしろ田舎の方が人間関係に困るぞ!という人もいるし。

それは素直に受け止めて、受け止めるんだけど、行ってみないとわかんないじゃん。

 

「ネット上の知らない人からやめろと言われたから移住やめた」

っていう結論の出し方に、きっと私は納得しないと思う。

当時は納得しても、どうせ何年かしてからまた悩む日々が来るってことが目に見えてるんだよな。

 

だから私は移住します。

 

他の人はそうでもないかもしれないけど、この二つは私にとっては非常に大きい。

好き勝手度合い高い。

ワクワクと不安が入り混じった気持ちって久しぶりだわ。

 

 

現代文が苦手だった過去の私に捧ぐ

受験生は、受験シーズン突入ですね。

 

受験生だったころ、私は「現代文」がとても苦手でした。

いつも点数を引っ張ってるのは現代文。

足を引っ張る現代文を、暗記型の古文・漢文で何とかカバーするのが私の戦い方だった。

別に本が嫌いとか字が読めないとか、そういうわけじゃなかったんだけど、なんで苦手だったのか当時はわからなかったなあ。

 

最近、よく本を読むようになって

青空文庫」にたどり着き、タイトルで気になった作品なんかをWebでフンフンと呼んでたんですが、

当時のことをふと思い出し、

なんとなく、現代文が苦手だった理由が分かった。

 

そうだ、テストの現代文って「問題を解く」ことが目的になってるので、物語なんてまったく頭に入ってなかったわい。

「接続詞の後に、問題の答えが書いてある」

「転調したところがヒントになる」

「線が引かれている文章の前後に答えはある」

とか、点数を取るためのテクニックばかり気にして、物語自体を読んでなかったんよな私。

 

改めて大人になって思うけど、そのテクニックはマジで要らない。

そもそも、現代文を何のために勉強しているのかわからなくなるテストの仕様だったよ。

現代文のテストっている?

漢字・慣用句あたりのテストだけでいいんじゃないの?

 

って思ったら、現代文が全然できなかった過去の自分を許せる。

あれはできなくてもなんの問題もないよ、私。

 

=====

 

小学校時代の国語の作品、今でも覚えていたりするけど、

その物語が何を伝えたかったのかとか、読んでどう感じたかとかは当時あんまり考えてなかったなあ。

小学生だから仕方ないのかもしれないけど、なんかもったいない。

初めて作品に触れたときの感想って、初めて触れたときにしか浮かばないからね…

 

いまだにちゃんと感情を覚えているのは宮沢賢治の「やまなし」。

あれ、「クラムボン」が何なのか全く分からない作品で、

完璧主義で失敗を怖がる私からしたら、すごく怖かった作品。

先生に「クラムボンは何だと思う?」って聞かれたとき、なんて答えるのが正解なんだろう……?って、指されるのが怖かった記憶がある。

 

あと、

クラムボンは死んだよ」

クラムボンは殺されたよ」

って、ちょっと怖い表現が入ってたのも恐怖だった。

でも、そのあと笑うのよねクラムボン

余計にわからん、コワイ。

 

大人になった今は、クラムボンを想像すること自体に意味があるんだよってわかるけど、当時は嫌だったな。

 

なんて懐かしくなった今日。

青空文庫で読めますので、気になった方はどうぞ▼

www.aozora.gr.jp

 

当時、もっと作品を楽しんでいたらなあ…

と思った今日でした。

 

受験生のみんな、「そんなことできねーよ」と思うと思うんだけど

勉強って本来は楽しいものだから、受験も楽しんでほしいな………

やっぱり親ってすげーんだわ

以前、母親からの呪縛に関する記事を書いていたのですが▼

yano-uts.hatenablog.com

 

年始に実家に帰って、

両親の良い性格も受け継いでたなー

と考えが改まるようになりました。

 

今までは、嫌な部分の遺伝ばっかり見てたんですが、それと同じくらい良いところももらってたなと気づき。

良い気づき。

 

例えば、母からは

  • 運動神経の良さ(ずばぬけてはないが悪くはないそこそこな活発度合)
  • 植物愛(母もガーデニング好き、私も植物好き)
  • 創作愛(よく幼稚園の持ち物全部手作りしてくれてた。その遺伝子を引き継ぎ、私もアクセサリー作りにハマる)
  • ユーモア(ボケに突っ込まずにいられないところ似てる)

そして父からは

  • 勉強好き(資格取ったり本読んだりするの、同じようにやりたいって思う)
  • 最悪の事態を想定すること(リスクを最小限にする)
  • まず取説読む癖(慎重派)

っていう良いところ(?)を受け継いだ(気がする)。

こう見ると、やっぱり母遺伝の方が強い気がするなあ。

 

実家に帰って、挙式で使用する予定の子供の頃の写真を漁ってたら

タンスの奥から両親の結婚式の写真が出てきた。

実は初めて見たので、ちょっと感極まってしまった。

こうやって私は産まれたのかと…

 

年始に、両親の還暦祝いもしてきたよ。

お食事して、プレゼント渡して。

本当は今後の予定とか話したかったんだけど、姪甥が騒がしくてほぼ話できなかったけど笑

まあそういう話はあとでしよかね。

 

今年の始まりは両親の愛を感じるスタートだったな。

やっぱり親ってすげーんだわ!

あけましておめでとうございます

なんかさ…

新年明けても人間って変わらねえんだよなあ(みつを)

 

小さい頃は、新しい年が明けると「今年こそは!!」って気合入れたりして、結局しばらくするといつものような自分に戻ってガッカリしてたけど、

それは、いつものような自分に不満を持っていたからガッカリするのであって。

今は、いつものようなぐだぐだな自分でもそこそこ満足だから、ガッカリはしないなあ。

という新年の変化で成長を感じました。

 

今年は、いつも通りいつものような目標を立てましたが

いつもより達成できそうな気がしている!!

 

だいたい、

  • 教養系(本を読むぞとか、映画見るぞとか)
  • 勉強系(○○の資格取るぞとか)
  • 美容系(ダイエットするとか、運動するとか)

あたりは絶対絶対毎年やるぞーって言ってるんだけど(そしてできない)

今年は、もう少し具体的な目標かつ、

  • 仕事系(脱サラ、フリーランスで軌道に乗る)
  • 趣味系(アコギ、ハンドメイド、キャンプとか)

あたりを付け加えてなんだか盛沢山になりました。

 

いつも理想ばっかり目標として立ててたんだけど、

今回は、少し現実的な目標にしてるという変化があるかも。

やっと自分が分かってきたのか…?

 

★★★

 

小さい頃は、フェリシモでもらえる手帳を

1月1日から使うのをすごく楽しみにしてたなあ~~

1月くらいまでは、ちゃんと毎日書き込んだりして頑張って使うんだけど、

2月後半くらいからはぱったり開かなくなって。

また4月になって新学期を迎えると再開するんだけど、

GW過ぎあたりからはぱったり開かなくなって。

後半のスケジュール・日記は真っ白。

っていうパターンが王道だったな。

 

で、「今年こそは!!」って毎年同じことやるの。

 

いつも私ってこうなのよね。

最初のスタートダッシュすごいんだけど、失速もすごい。

手帳を1年丸々使い切った記憶がないよ。

 

今、ゆるーく「10年日記」っていうアプリで日記を書いてるんだけど、

これ、10年分の日記を保存できて、

今日の日記を書こうとすると、去年の今日の日記が下に表示されるのね。

play.google.com

 

いつもながら、去年の日記は1/11で止まっている。笑

 

今年は、「日記を始めるメリット」とか「日記のデメリット」とかを調べて、

日記をつける意味を自分に言い聞かせてから始めているから、続くといいなあ。

今年はゆるーくやって、1年丸々埋めたいなあ。

 

と思う今日この頃でした。

人生の節目を迎え、行動に移す年へ

タイトルはAIで作ってみました。

なぜ人は、お金は大切に節約するのに、時間は無駄にしてしまうんだろうか。

時間は大切だとみんなわかっているのに。

 

  • 時間は目に見えないから
  • 実はたくさんあると思っているから
  • 周りも同じだから(時間は平等)
  • 実は時間の大切さをわかっていない

もしかしたら、時間が無くなってからじゃないと本気で気づくことができないように脳がなっているのかしら。

 

2023年に、将来のやりたいことを考えてみた。

ら、全然時間が無いことに気づいた。

 

週5で10時間も、会社に拘束されている時間なんてない!!

 

ってことに、30年以上生きててやっと気づいた。

40-50時間の貴重な時間を、給与分で売っている。

自分の好きなことができる時間は土日の休みのみ。

大半は、平日の疲れで土曜は寝て過ごし、日曜は「明日から会社か…」という憂鬱な気持ちで心から楽しめず、休日を終える。

 

人生は貴重なはずなのに、平日は「早く週末になんないかなあ」って思いながら過ごしていることに気づいてハッとした。

 

こんな人生でいいんだっけ?

「早く時間が過ぎてほしい」なんて思う余裕、あるんだっけ?

 

確かに安定的にお金は手に入るけど、もう戻すことのできない貴重な時間と引き換えにもらっているだけ。

お金は頑張れば取り戻せるけど、時間はどう頑張っても取り戻せない。

 

冷静に考えたら明確なのに、なんで今まで気づかなかったんだろう。

 

安定的なお金をもらったとしても、それを使う時間もないのに。

老後のために溜めておくんだ!って言っても、

老後、やりたいことをやる気力すらなくなっているかもしれないのに。

会社を定年退職したら、ずっと行きたかった海外旅行に行きまくるんだ!って言っても、

その頃には、やりたいことが変わっているかもしれないし、健康的な体である保証もないのに。

 

2023年は、夢からさめたような感覚。

このブログを本格的に始めたのも、なにか自分の中で思うことがふつふつと湧き上がってきたからなのかもしれない。

今まではずっと、家と会社の往復の毎日で終わっていたから、何も感じることが無かった。

(いや正確には色々感じてたけど、ほぼすべてダークネスな感情)

 

と、たぶん今年は自分の人生にとって大切な節目だったと思う。

そして来年は、その感じたことを行動に移す年にしよう。

 

と心に誓った大晦日

楽しみだ!

2024年は自分を解放する

2023年にすごく学んだこと

我慢するな

 

今までの人生、ずっと我慢の連続でした。

我慢することは必要なこと、仕方のないこと、成功するには大事なこと、みんなやっていること。

ずっと小さい頃からそう思っていて、我慢することを疑うことをしませんでした。

 

それが、この1年で価値観がガラガラと崩れ去った。

我慢って良いことではないんだ!!!

これに気づけた、この2023年は私の人生にとってとても貴重。

 

ずっと会社員じゃないといけないと思っていたし、

東京の上場企業に勤めることが幸せだと思っていたし、

仕事が辛いのは当たり前だと思っていたし、

普通に結婚して子供を産むことが幸せだと思い込んでいた。

 

でも、そんなことする必要なかったんだ。

ってことに気づけた1年。

 

こちらの記事でも書いたのですが、好きなことは真っ先にやった方が良い。

yano-uts.hatenablog.com

 

例えば、仕事で我慢して何が起こるかというと、

  • 苦手な仕事を我慢してやってると、同じような仕事をどんどん振られる
  • 我慢して残業していると、「残業が好きな人」認定される
  • 身を削って対応をすると、同じようなお願いをどんどんされる
  • 自分は辛い仕事を続け、仕事に文句を言った同僚は楽しい仕事をしている
  • 「あ、こういう仕事好きなんだ」と勘違いされる
  • 評価はされるが、評価後も同じような働き方を求められる

また、私生活でも我慢していると何が起こるかというと、

  • 嫌いな人・苦手な人とも我慢して付き合うので、逃げ出せない
  • 我慢してため込むので、パートナーとの関係も改善されない
  • やりたいことができない

 

いかに、今まで「我慢は良いこと」という呪いに束縛されていたかがよくわかる。

 

2024年は、その呪いを解くのだ!!

と、息巻いている大晦日

怒りをぶつけることが無い自分がちょっと好き

仕事やプライベートで相手の対応にイラっと来て、

これは一言、言ってやらんと…!

と思うくらい怒りボルテージが上がった時、電話ではなくメールを選ぶ。

 

直接言うことができない小心者だから、という理由もあるけど、

結構これがナイスプレイだったりする。

 

例えば、怒りメールを作成しているときに

「念のため、本当に事実か確認しよう…」

と確認をしていると、自分の勘違いであることが分かったりする。

 

もしくは、メールを作成している時間で冷静になって

さっきまでの怒りが静まったりして、

結局、怒りメールを送ることが無い。

 

文章的にキツイ怒りメールを一度作成しても、

送るまでに何度も何度も推敲するので、

「ちょっとこれは言い過ぎかな…」

と思い、結局マイルドな聞き分けのよい人間になってたりする。

 

こんなことが80%くらいの確率で起こるので、

あんまり怒ったことが無い。

 

クレームとか文句を言うとき、自分に非が無い状態じゃないと言ってはいけない

という謎ルールを自分に課している。

 

「こっちにも非が無かったかな?」

と思い返す癖ができていて、少しでも自分に非があったら文句は言わない。

 

正確には、100%文句を言おうとしたところを、60%くらいに抑えた表現で言う。

ちなみに60%に抑えるともはや文句ではない表現になっている。

 

こういうことを繰り返していると、

自分に100%非が無い状態ってほぼ無いことに気が付く。

だいたい、物事のすれ違いってコミュニケーションエラーで起こってたりするので、

コミュニケーションが自分と相手の2人で行う行動である以上、

相手が100%悪い状況って無いのだ。

 

自分もわかりにくい表現していたな、とか。

相手の立場で考えたら、そりゃこういう行動とるよな、とか。

 

なので、ほぼ文句は言えなくなる。

 

こんなことしてると、言いたいこと言えないじゃん(ポイズン)って思うかもしれない。

実際、言えてない。

 

確かに、その場でハッキリ言えなかったことを後悔することもあるけど、

怒りという感情をすぐにぶつけずに冷静になれるところは自分の良いところだなと思うようにしている。

 

なんでこんなこと書いたかというと、

昨日、プライベートで相手に対して文句言わねばという場面があって、

メールで内容を送ろうとしたところ、よくよく事実確認してみると相手は間違ってなかったことに気づいたことがあったから。

 

確認してよかったーーー!ごめんね!