受験生は、受験シーズン突入ですね。
受験生だったころ、私は「現代文」がとても苦手でした。
いつも点数を引っ張ってるのは現代文。
足を引っ張る現代文を、暗記型の古文・漢文で何とかカバーするのが私の戦い方だった。
別に本が嫌いとか字が読めないとか、そういうわけじゃなかったんだけど、なんで苦手だったのか当時はわからなかったなあ。
最近、よく本を読むようになって
「青空文庫」にたどり着き、タイトルで気になった作品なんかをWebでフンフンと呼んでたんですが、
当時のことをふと思い出し、
なんとなく、現代文が苦手だった理由が分かった。
そうだ、テストの現代文って「問題を解く」ことが目的になってるので、物語なんてまったく頭に入ってなかったわい。
「接続詞の後に、問題の答えが書いてある」
「転調したところがヒントになる」
「線が引かれている文章の前後に答えはある」
とか、点数を取るためのテクニックばかり気にして、物語自体を読んでなかったんよな私。
改めて大人になって思うけど、そのテクニックはマジで要らない。
そもそも、現代文を何のために勉強しているのかわからなくなるテストの仕様だったよ。
現代文のテストっている?
漢字・慣用句あたりのテストだけでいいんじゃないの?
って思ったら、現代文が全然できなかった過去の自分を許せる。
あれはできなくてもなんの問題もないよ、私。
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小学校時代の国語の作品、今でも覚えていたりするけど、
その物語が何を伝えたかったのかとか、読んでどう感じたかとかは当時あんまり考えてなかったなあ。
小学生だから仕方ないのかもしれないけど、なんかもったいない。
初めて作品に触れたときの感想って、初めて触れたときにしか浮かばないからね…
いまだにちゃんと感情を覚えているのは宮沢賢治の「やまなし」。
あれ、「クラムボン」が何なのか全く分からない作品で、
完璧主義で失敗を怖がる私からしたら、すごく怖かった作品。
先生に「クラムボンは何だと思う?」って聞かれたとき、なんて答えるのが正解なんだろう……?って、指されるのが怖かった記憶がある。
あと、
「クラムボンは死んだよ」
「クラムボンは殺されたよ」
って、ちょっと怖い表現が入ってたのも恐怖だった。
でも、そのあと笑うのよねクラムボン。
余計にわからん、コワイ。
大人になった今は、クラムボンを想像すること自体に意味があるんだよってわかるけど、当時は嫌だったな。
なんて懐かしくなった今日。
青空文庫で読めますので、気になった方はどうぞ▼
当時、もっと作品を楽しんでいたらなあ…
と思った今日でした。
受験生のみんな、「そんなことできねーよ」と思うと思うんだけど
勉強って本来は楽しいものだから、受験も楽しんでほしいな………